●1.聖なる石のシリーズ(基盤・グラウンディング、大地に足をつける)
●2.大天使のシリーズ(掛け橋・バランスと統合)
●3.聖なる光のシリーズ(高次元への上昇・変容)
ジェムをベースとした3つのシリーズ。
それぞれのシリーズには7種類のボトルがあり、7つのスペクトラム光線を基盤とした、ブルー、ゴールド、ピンク、ホワイト、グリーン、レッド、バイオレットの7色のラベルが貼られています。
各シリーズの同色のラベルのボトルは、同じテーマに基づきながらも、段階ごとに当てられている焦点が異なります。その為、同色のラベルのボトルを、3ステップで、各シリーズから段階的に使用する事も出来ます。
【例】バイオレットのラベルを持つボトル
1.聖なる石のシリーズのホーリーアメジスト ↓
2.大天使のシリーズの大天使ザドキエル ↓
3.聖なる光のシリーズの第7番目の聖なる光
と飲み進めていく。
●聖なる特別なシリーズ(パワーとインスピレーション)
4種類のボトルがあります。最もパワフルでインスピレーション溢れるシリーズ。人生に変化をもたらしたい、この世に大いなる光をもたらしたいと感じている人の為のエッセンス。
■ポジティブサイド、ネガティブサイドからエッセンスを選ぶ
*聖なる石のシリーズ、大天使のシリーズ、聖なる光のシリーズ、聖なる特別なシリーズの各ボトルについて、ポジティブサイド、ネガティブサイドを記載しています。
●レインボーエッセンス(最も新しいシリーズ 連続的かつ段階的な癒し)
最も新しいシリーズで、7種類のボトルがあります。
各ボトルには、ボトルの名前となった特定の色とジェムのエネルギーがインプットされています。使用プロセスと共に、特定の色の癒しを段階的に受け取っていけます。
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Rachel Finney
レイチェル・フィニー
私は、聖書に登場するヤコブの妻、レイチェルが「姿も表情も美しい」と評されたことにちなんで、レイチェルと名付けられました。
私は自分自身をそのように見ることはできませんでした。
それより「彼女は人生で多くの困難に出会うが、それを引き受けるだけの強さがある。
まるで鉄でできていて、向かうところ敵なしとでもいうように。
しかし本当は優しい心を持っていて、慈愛にあふれている」(アーバンディクショナリー)という表現の方がふさわしいように思います。
私はリビングライトエッセンスの共同開発者の一人で、リビングライト・レインボーエッセンスの創始者です。
これからお話するのは、リビングライトエッセンスがどのように誕生したかにかかわる、私の旅の物語です……。
私たちとは自分の旅の総体である、といえるでしょう。
そして、そのような旅の物語でよくみられるように、人生の何かが引き金となって違う道を歩む必要性に迫られることから、旅は始まります。
ロバート・フロストの詩「The Road Not Taken」での旅もそうですね。
「……この話を語るとき、いつも安堵のため息をつくだろう。
どこか遠い昔のあるところで、森の中で二つの道が分かれていた。
私が選んだのは、足跡が少ない方の道だった。
そして、それがすべてを変えたのだ。」
私はインドで生まれ、幼少期を標高7000フィート(2100メートル)のヒマラヤ山麓、ウッタラカンド州ムッスーリー(雪の女王)のランドーにある、1854年創立の国際寄宿学校、ウッドストック・スクールで過ごしました。
この幼少期は、私の人生に大きな影響を与えました。
クラスメートは、さまざまな国や背景、精神的(スピリチュアル)な伝統から集まっていました。
卒業時には32人のクラスメートがいましたが、今でも世界中のさまざまな場所から集まっては、互いの近況を報告しあい、旧交を温めています。
眼下に広がるインド平野、空高くヒマラヤ山脈を望む山中での生活は、私に自然との深いつながりを感じさせてくれました。
そして驚くべき自然の驚異を生み出す「源」とは何だろうとよく考えました。
日々、触れていた山々、ヒマラヤ山脈の色とりどりの鳥、蝶、昆虫、シャクナゲ、野生のダリア、ラン、シダ、ヒマラヤ杉・・・ライチョウなどを生み出した源とは。
この間、ヒマラヤ山脈の平和と静寂は、時に地球の声を聞くことができるほどで、時折、雲に繭のように包まれることで、このつながりがさらに深まりました。
幸運なことに、子供時代から大人になってからも、インド国内はもとより世界中を広く旅することができ、いくつかの国に定期的に滞在したことで、私は人類がさまざまな道を歩んでいることを理解するようになりました。
私は早くから、「視点」が態度、行動、信念に大きな影響を与えることを学びました。
夕方になるとガジュマルの木の周りに座って煙草を吸っているインドの村人がいました。
ヒンドゥー教のサドゥーは半裸で三叉のほこと鉢を持って歩き、イスラム教徒は祈りの呼びかけを聞くと礼拝マットを広げ、ジャイナ教徒は虫を殺さないように注意深く歩いていました。
この人たちが「真実」だと思っていることと、日曜日の朝、教会に集まる西洋のキリスト教徒たちが信じている「真実」とは多くの点でまったく異なっていたのです。
それぞれが、家族、地域社会、文化、規範から教えられた体験に従っていました。
このような経験から、何が「正しい」のかについて様々な疑問が浮かび、さらにはひとつの「正しい」ことなどあるのだろうか、とさえ考えました。
「光」は私が「愛」と同一視しているものでしたが、その「光」についての疑問と「闇」についての疑問は、私の人生の中で絶えず顔を覗かせてくるように思えました。
このパターンは後になってやっと気がついたものなのですが。
私が住んでいたインドでは、スピリチュアリティが当たり前に生活の中心にありました。
そのことから世界の偉大なスピリチュアルな伝統の数々に触れる機会がありました。
私の両親はインドでキリスト教の宣教師をしており、技術教育の分野で、高校を中退して希望を失っていた多くの若者が有意義な市民となれるよう、技術や職業を習得する手助けをしていました。
幸いなことに、両親は自分たちの信仰を子どもたちに押し付けることはしませんでしたが、私たちはキリスト教の多くの信条に触れることができました。
子供の頃、日曜学校は私の生活の一部であり、歌を歌うこともそうでした。
私が日曜学校の歌で一番好きだったのが「This Little Light of Mine(私のこの小さな光)」だったのは当然かもしれません。
子どもの言葉には、ときにその素朴さの中に大きな深みがあります。
自分の光を輝かせることは、しばしば人生最大のチャレンジとなるのですから。
私のこの小さな光を
私は輝かせるつもりです
……輝かせよう、いつでもそれを輝かせよう
一升マスの下に隠しておけですって?いいえ!
私はそれを輝かせるつもりです
……輝かせよう、いつでもそれを輝かせよう
~ ハリー・ディクソン・ローズ ~
人生の中で、時に説明のつかない、あるいは忘れられないような出来事が起こることがあります。
13歳のある日、学校から山道を一人で歩いて帰っているとき、突然「決めたか」と聞かれたのです‐「闇」と「光/愛」のどちらの中で生きるかを。
私は意識してそういうことに取り組んでいたわけではなかったのですが、驚きと同時に分かったような気がしました。
その同じ年、ダライ・ラマがチベットからインドに亡命しました。
インド政府はヒマラヤ山脈にある町にダライ・ラマの家を提供しましたが、それは私が通っていた寄宿学校と同じ町でした。
ダライ・ラマは何度か来校し、私たちの学校の生徒たちはハッピーバレーのダライ・ラマ宅で彼に直接会って話を聞くことができました。
初めて学校を訪問されたとき、法王は私たちの家庭科の授業に案内されて来られました。
そして、私のところに来て、通訳を介して何を作っているのかと尋ねられ、私のスプーンを持ってかき混ぜましたが、その間ずっと笑っておられました。
その喜びはとても深いもので、すべてを失ったばかりの人が、これほどまでに喜びと幸福に満ちていることに驚かされました。
その喜びに立ち会えたことは、「ギフト」でした。
ギフトは時として私たちに与えられます。
暗闇にいるときにハートの中でそれを思い出し、光に戻る道を見つけることができるのです。
「光」のテーマは続きます。
アメリカの大学に留学していた私は、良く知らないままにミトラ教についての論文を書くことにしていました。
ミトラ教とは、古代インド・イランの宗教なのですが、私はミトラスが「光」「友情」「契約」「秩序」の神であることは知らなかったのです。
その後、イギリスのリバプール大学で歴史と教育を専攻していた私は、南フランスのアルビジェン派の異端、カタール人を卒業論文のテーマとするように言われたのですが、これも「光」の宗教だったのです。
中世史に興味を持った私は、そこから進んでテンプル騎士団、ケルト人、エジプト神話、錬金術、賢者の石、神聖幾何学などを読むようになりました。
メキシコに住んでいたときに偶然出会ったカナダ人夫婦からは、エドガー・ケイシーの作品、その後イマニュエル・ベリコフスキーの作品、そして「禁断の」考古学や歴史など…たくさんの「風変わりなもの」を紹介されました。
イギリスで数年間生活し、教えた後、夫と二人の子供、フレッドとカースティンと共にカナダに移住し、1977年からそこで暮らしています。
40歳のときに教師を辞め、大学に戻り、言語聴覚士になるために必要な訓練を受けました。
その後、保健部門で就学前の子どもたちを対象として仕事をし、その後、既存の学校の枠組みで学齢期の子どもたちを扱うようになりました。
40年以上にわたって子どもたちやその親御さん、先生方と一緒に仕事をしてきましたが、2013年末に退職しました。
私たちの人生には、私たち自身や私たちの未来を形作るようなことが時々起こります。
ポジティブな経験もネガティブな経験も、特に早い時期に起こった場合は、その痕跡と課題を残します。
それらは、私たちがものを見るときの「レンズ」、実際の生理機能、自分についての信念、他人に対する見方や接し方、そして人生をどう生きるかを形作ることがあります。
初期のトラウマは、健康問題や、自尊心、世界観、自分の居場所に関する多くの問題を引き起こす可能性があります。
私たちがある特定の周波数に「共鳴」すると、無意識のうちにそれに見合った周波数に自分を開いたり、そのような周波数を引き寄せたりする可能性があります。
ですから時には危機が訪れて初めて、ものごとに対して意識的に気づきを向けることができ、それが人生を変えるための入り口になったり、新しい選択肢が生れたりします。
私も、インドで始まった重大な健康問題が深刻化し、何年も困難な状況を生きることになりました。
1983年に起きた「クラッシュ(崩壊現象)」は数年間続きましたが、その後にまたしても「説明のつかない」出来事が起こり、私の人生を突然変え、まったく新しい方向へと導いてくれたのです。
その体験の一部として、私はついに、「自分の人生に責任を持ちたくなかったから」今の自分があるのだという側面を「認めた」のでした。
そのすぐ後に、幼少期のクンダリーニの経験が再浮上し、生きることがある意味大変になりました。
それというのも、私は突然「霊感体質」になってしまい、それと折り合いをつけなければならなかったからです。
超感覚(霊能)、透聴(霊聴)、時には透視の能力が目覚め、エンパス(他人の感情を敏感に感じ取る人)に、そしてヒーラーになっていました。
そのことと母親であり言語聴覚士である私の「普通の」日常生活とのバランスをどのようにとることができるかが問題になったのです。
「ビジョン」を見たり、人のエネルギーを「読む」ことができることは、必ずしも普段の生活にフィットすることではありませんでした。
私は頭がおかしいのだろうかと思うこともありました。
この2つの不安な出来事がきっかけとなって、私は癒しの旅に出かけ、人生をより「全体的」かつ「エネルギー的」な観点から見るようになりました。
その結果、一風変わった「ヒーラー」たちに出会い、病気の原因や、どのようにそれを受け入れ、健康やウェルネス手に入れるかなど、人生や幸福についての考え方が大きく変わりました。
生徒の準備が整えば、先生や友人が現れるといいます。
娘が小学校1年生のとき、私はジュディ・マクロードと出会いました。
彼女は生涯の友、そして先生となり、私に人生の新しい見方を教えてくれました。
私たちは何杯もお茶を飲みながら、さまざまなヒーリングの方法を試し、エッセンスの使い方を工夫し、人生、エネルギー、ヒーリングについて語り合いました。
ジュディは「生涯にわたる学び人」と呼んでも良い人で、いつも新しい方法を探しては使い、人生の旅路にある人々を助けています。
もう一人の特別な人は、ジュディから紹介された天才的なカイロプラクター、ジョージ・デウィットです。
ジョージは、グッドハート博士が開発したキネシオロジーをベースに、カイロプラクティック、ホメオパシー、サプリメント、フラワーエッセンスなどを組み合わせてヒーリングを行っていました。
私はこのようなものを初めて知りました。
彼の研究は、当時「地球から離れる」道を歩んでいた私の人生を変え、救ってくれました。
また、リビングライトエッセンスを最初に試して、「効いたよ」と言ったのもジョージでした。
それを聞いた私は、とても驚きおののきました。
ある時、私はジョージに、「私が願っているのは “誰かに治してもらう”ことではないわ。
自分の癒しにもっと自分から参加しなければならないわ」と告げ、彼の薦める方法を尋ねました。
彼は私をまっすぐ見て、微笑みながら、「あなたの生きる姿勢を扱うことだね。
誰かその助けになる人をみつけなさい!」と言いました。
それで…私はそうしました。
それは自己へのさらなる旅の始まりでした。
私たちの健康は、身体的な健康だけでなく、社会的、感情的、精神的、そして霊的な「健康」でもあります。
私たちが自分の人生の旅、つまり健康と幸福に責任を持つことを学ぶと、物事は変わっていきます。
また、必要性が生じ、タイミングが合ったとき、宇宙は、あるいは私たち自身は、目的のために人々を私たちの人生に呼び込むのです。
テリア・ジュナは、非常に才能のある人生を変えるコンサルタントであり、自然な直感とエネルギーヒーラーで、1990年代初頭に私の人生に現れ、「エネルギー」、ヒーリング、七つの光り、天使など、それ以外にも多くのエソテリックな性質の事柄について教えながら、多くのレベルで私と共に働いてくれました。
リビングライトエッセンスは、そこから得られた考えから生まれました。
肉体の病気そのものは、魂と心の不調和の結果にすぎない。
その不調和を取り除くと、魂と心の調和を取り戻し、身体は再びそのすべての部分で完璧なものとなる。
エドワード・バッチ
ジョージ・デウィットによってフラワーエッセンスを紹介された私は、1980年代半ばに、自尊心や健康、そして何となく調子が良くなかった感情的、精神的、スピリチュアルな側面を回復する方法としてバッチフラワーレメディを使い始めました。
最初は自分自身のために使っていましたが、次第に家族や友人にも使うようになりました。
道は道を切り開くもので、今ではエッセンスのない生活は考えられないくらいです!
1995年、ジェフ・バインダーが現れ、後にリビングライトエッセンスの共同クリエイター、ビジネスパートナー、そして義理の息子となりました。
ジェフと私は、1996年に7つの光線の宝石を使ったエッセンス「リビングライトエッセンス」を共同開発し、リビングライトエッセンスを製造・販売する会社「リビングライトエナジー(後のリビングライト社)」を立ち上げました。
私の人生における「光」のテーマは、まだまだ続きます……。
リビングライトエッセンスの登場は、私の考え方を大きく変え、人生の新しい局面を迎えました。
私は「疑い深いトーマス」のようなもので、ほとんどの物事に対して「実際に効果があることを見せてくれ」という態度でした。
リビングライトエッセンスが実際に「効果があり」、人々の人生を変える手助けをしていることが分かると、それが多くの古い考え方を吹き飛ばすとともに、慣れるのに少し時間がかかる新しい考え方が導入されました。
このエッセンスは、短期間のうちに飛ぶように世界に広がったようです。
人生は突然、新しい目的を持つようになったのです。
多くの異なる職業や地位、学習と理解のレベルの人々と出会い、話をする特権を得たことは、とても素晴らしいものでした。
エッセンスのある生活は、ロバート・フロストの言葉を借りれば、「……すべてを変えた!」のです。
2001年、私はエッセンスの世界とリビングライトから離れ、言語聴覚士としての仕事に専念し、ジェフは一人で会社を経営することになりました。
そして2005年、ジェフが自らエッセンスの世界から身を引くことを決めた時、私は再び事業を引き継ぎ、自分の会社を作り、「ルミネッセ…光になる」と名付けました。
ルミネッセは現在、リビングライトエッセンスとリビングライト・レインボーエッセンスを製造・販売しています。
2008年12月、イスラエルからメールが届き、アメジスト化粧品の新製品シリーズに使用するアメジストエッセンスを作れないかという依頼がありました。
エッセンスを作るのは12年ぶりだったので、私にまだそんなことができるのだろうかと思いました。
「使わないものは失うことが多い」と言いますから。
また、かの有名なカナダの真冬にエッセンスを作るというチャレンジもありました。
そのとき、たまたま何週間も日が照っていなかったのでした。
しかし、宇宙は時として、私たちの気持ちとは裏腹に独自の意図とスケジュールを持つことがあります。
ある土曜日の朝、太陽が一日中燦々と照ってくれたので、エッセンスを雪の中、太陽の下に置き、マザーティンクチャーを作ることができました。
これがレインボーエッセンスシリーズの第一号となったのでした。
それから1年半後、このシリーズの他の6種類のエッセンスが続々と誕生しました。
これらのエッセンスのアイデアは、しばらくの間温めていたものでしたが、友人のテリー・オヴリームの促しと協力を受けて実際に姿を現わしたのです。
まず色についてのアイデアがやって来て、次に様々な色に合った宝石やクリスタルがやって来ました。
それぞれのエッセンスが姿を現わしたときには、それぞれの「個性」を持って、テクニカラーで動いているのを「見た」のですが、それはとてもエキサイティングなことでした!
1980年代半ばから、フラワーエッセンスもジェムエッセンスも、私の人生と癒しのプロセスの一部となりました。
一時期、様々なエッセンスを集めていました。
フラワーエッセンス、ツリーエッセンス、シェルエッセンス、エネルギーエッセンス、コズミックエッセンスなどなど、枚挙にいとまがありません。
使い方としては、マッサージ、キネシオロジー、エナジーヒーリング、レイキ、EFT、ホメオパシー、心理療法、風水、ラジオニクスなど、様々なセラピーをサポートし、それらの方法論や経験を深め、ヒーリングを促進するために、個人的に使用してきました。
人生は、自己発見と癒しの魅惑的な旅でしたし、今もそうです…… 自分/大いなる自己を信じ、愛し、感謝するようになりました。
エッセンスは、その旅の中で大きな役割を果たしてきました。
サポートを提供し、チャレンジをもたらし、物事をスムーズにし、希望を与え、変化をもたらし……そして、私の人生に何が起こっているのかをより意識し、認識できるようになるのを助けてくれ、多くの困難な時期に癒しをもたらしてくれました。
あなたの人生からネガティブなものを取り除くたびに、より多くのポジティブなエネルギーのためのスペースが生まれます。
私は以前、「……人間としての経験をし、自分を癒し、そして他の人が同じようにするのを助けるためにここにいる」と言われましたが、確かにその通りでした。
私が旅の途中で学んだことのひとつは、私たちの道に現れるそれぞれのレベルをネガティブなものとして見て、「またか!」と人生や宇宙のせいにするか、「次の層をはがす準備ができたんだ、良かったね!」と言うか、ということです。
人生のチャレンジにどう対応するかは、自分次第であり、誰の責任でもないのです。
そうして、人生の旅は続きます……感謝と、そして強い畏敬の念とワクワク感をもって!
最近のことなのですが、私はこの世界に「留まる」か「去る」かの選択を迫られたことがあります。
そのことについて考えていた時に、何年も前にインドの占星術師で学者でもある人が私に言ったことを思い出しました。
その人は占星術に手相術も加えて、このように説明してくれました。
「片方の手の手相は、あなたが今世でどんな才能を授かったかを示し、もう一方の手の手相は、あなたがその才能を使って何をしたかを示すのです」と。
その言葉をよくよく考えてみると、自分に与えられたギフトの中には、まだ十分に使っていないものがかなりあるような気がして、使うべき時が来ているのだと思いました。
投げ出して「被害者モード」に落ち込み、「去って」しまうのはまだ早いと。
人生とはまさに特権なのですから!
時には、読んだり、聞いたり、友人に言われたりしたことが、あるタイミングでひょっこり現れて、ある行動を起こすのに役に立ったり、何をするかについてインスピレーションを与えてくれたり、必要な選択や変化に影響を与えたりすることがあります。
そのとき、そのインドの賢者の言葉を思い出しただけでなく、私の記憶の引用文ファイルにしまっていた、哲学者であり比較神話学の研究者であるジョセフ・キャンベルの言葉も思い出しました。
この言葉は、私たちが人生の課題にどうアプローチするか、それを「暗い」目で見るか「明るい」目で見るかについて語っています。
あのことわざの、グラスが「もう半分空」か「まだ半分満たされているか」という見方です。
運命がどうであれ、何が起こったとしても、「これこそが私に必要なものだ 」と言うのだ。
破滅みたいに見えるかもしれないが、チャンス、チャレンジだと思って臨みなさい。
その時、落胆するのではなく、愛を持って臨めば、そこに強さを見出すことができる。
どんな厄災も、乗り切ることができれば、あなたの人格、力量、そして人生を向上させるものなのだ。
なんという特権だろう!そのときこそ、あなた自身の持って生まれた力が自然にあふれ出る時なのだ。
そして、人生を振り返ってみると、大失敗と思われた瞬間、その後に残骸だけが残されたと思われた瞬間が、今の自分の人生を形成する出来事であったことがわかるだろう。
これが本当にそうだとわかる時が来るだろう。
ポジティブでないことはあなたには起きえない。
たとえ、その瞬間はネガティブな危機のように見えても、そうではない。
危機はあなたを我に帰らせる、あなたが力を発揮することが求められる時、それはやってくる。
”
幼少期の体験などから、私の人生の課題のひとつは、自己を信じることでした。
これは、人生を歩む上で多くの人が影響を与えるものかもしれません。
ネルソン・マンデラの言葉として取り上げられることが多い有名な引用句ですが、実はアメリカのスピリチュアルな教師、作家、講演家であるマリアンヌ・ウィリアムソンの言葉があります。
私の旅の話を、この言葉で締めくくりたいと思います。
彼女はこう言っています。
私たちの最も深い恐怖は、私たちが不十分であることではありません。
私たちの最も深い恐怖は、私たちが計り知れないほど強力であることです。
私たちがもっとも恐れているのは私たちの光であり、私たちの暗闇ではありません。
私たちは自分自身に、”自分が聡明で、見事で、才能ある、素晴らしい存在だなんて、自分を何様だと思っているのか?”と詰問します。
実際には、あなたがそうでないなんて、あなたは自分を誰だと思っているのか? と言う方が正しいのです。
あなたは神の子です。
あなたが卑屈に振舞ってみても、誰も得をしません(世界の役に立ちません)。
他の人があなたの周りにいて不安を感じないようにと、自分を小さく見せることは開かれた精神と無関係です。
私たちは皆、子供がそうであるように、輝くために生まれてきたのです。
私たちは、自分の中にある神の栄光を現すために生まれてきたのです。
それは一部の人の中だけでなく、すべての人の中にあるのです。
そして、自分の光が輝くのに任せるとき、私たちは無意識のうちに他の人にも同じことをする許可を与えているのです。
自分自身について書くとき、私たちの人生に最も影響を与えた人々、彼らが私たちの旅にもたらした知恵、助け、友情、愛を認めることは、自分について書く上で適切なことだと思うのです。
私たちが出会う人々、私たちが作る友人、そして宇宙や人々から受けるサポートが、すべてを一変させる力を持っているのです。
必要性が生じ、私たちが本当に助けを求めるとき、答えは訪れ、「祈り」は答えられ、私たちの人生に変化をもたらしてくれる人々が現れます。
そのような特別な人たちを何人か挙げてみたいと思います。
私の両親であるジョンとエルシー・フィニーは並外れた両親で、ほとんどの人が経験することのないような経験や機会を私に与え、その開放性と人々への愛によって、私は世界を違った角度から見ることができるようになりました。
妹のジョイ、そして兄夫婦のポールとパムは、「普通じゃない」姉(妹)を、いつも愛情を持って支え、偏見を持たずにいてくれました。
マーガレット・フォーウェル:驚くほど協力的で、特別で、寛容な長年の友人、ホリスティックプラクティショナーであり、ヒーラーです。
ジュディ・マクラウド:友人、ヒーラーであり、並外れたライフコーチです。
タマラ・ペン:友人、エッセンスプラクティショナー、リバーシングプラクティショナー、アースマザーです。
テレア・ジュナ:非常に才能ある人生変容コンサルタント、生まれながらの直観的エネルギーヒーラーです。
ジョン・ナウス:長年のラディオニクスプラクティショナー、教師です。
ジョセフ・コープ博士:医学博士、内科医、リスクテイカーでありパイオニアです。
ジョージ・デウィット博士:元カイロプラクター、優れたキネシオロジスト、革新的なヒーラーです。
アイリーン・ヤイチュク・アラビー:エネルギーヒーリングとキネシオロジーのパイオニアでありハーバリストです。
ジェフ・バインダー、テリー・オーヴァリーム:才能あるエネルギーヒーラー、タイムライン「シーアー(見者)」、
アーラ・カサジ:思いやりとオープンさのある自然療法士。
アサートン・ドレンス:透視能力者、直感医療者、エネルギーヒーラー、作家です。
ヘルケ・フェリー:学友、勇気ある調査ジャーナリスト、作家、出版者。
ダン・ベナー:友人、作家、ヒーラー、精神科医、英国における医師/ヒーラーネットワークを促進したパイオニア、TWRの開発者。
友人であるレジーナ、アンジェラ、ドロシー、スザンヌ、メアリー、ローリー、ポーラとロイ、リンダ、ジャン、そして私が愚にもつかないことを言うたびにそれに挑んでくる孫のザック(彼は特にありがたい存在です!)……その他、ヒーラー、プラクティショナー、作家、思想家、エッセンス愛好仲間、顧客、友人など、これまで出会った人たちは数えきれないほどです。
……私の旅を支えてくれたこのような人たちは、新しい考え方や存在の仕方を開拓してくれ、私たちがより新しい考え方や癒し、在り方に気づくことができるよう、強く縛られていたさまざまなイデオロギーの「権威」に挑戦してくれました。
励ましを与えてくれ、私の考えや信念に挑戦してくれ、新しい知識や理解をもたらしてくれ、洞察や友情、愛を提供してくれました。
また、この新しいウェブサイトの完成が不可能だと思われたとき、私を救ってくれたグラフィック・アーティスト、イラストレーター、ウェブデザイナーのリチャード・ハリソンにも感謝したいと思います。
私はこれまでも、そして今も本当に恵まれています…皆さん、ありがとうございます 。
レイチェル
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JEFF BINDER
ジェフ・バインダー
ジェフは、リビングライトエッセンスの創作、生産、流通、販売にはもう関わっていませんが、リビングライトエッセンスにまつわるジェフの物語の一部を含まずには、リビングライトエッセンスの物語は完結しないでしょう。
1994年の夏、ジェフは長年の友人であるマイク・デイビスに会うため、ノバスコシア州へ車で出かけました。
マイクとノバスコシア州のキャボット・トレイルでキャンプをしていた時、ジェフは木を切っていたのですが、友人のマイクはそれを何度も止めようとした後に、最後には大声で、”木を殴るのをやめろ!!”と怒鳴ったのです。
ジェフが “なぜ気にするんだ、何が問題なんだい?”と尋ねると、マイクは、”君がやるたびに、木の悲鳴が聞こえるんだよ……!”と答えました。
その瞬間が、そしてその後に続く会話や体験が、当時そんなことがあり得るとさえ思っていなかったジェフにとって、大きな「目覚め」の始まりとなったのです。
ジェフは、その後、スピリチュアルな先生であり神秘主義者であるクリストファー・ティムズのもとで学び、旅を続けました。
そして、オーストラリアに渡り、神(と自分自身)を見つけるために、21日間の断食をしました。
そう、3週間です! 最初の3日間は水も飲まず(これはお勧めできることではありません)、21日目にはほとんど死に近づきました。
カナダに戻ったときには体重は30ポンドも軽くなっており、神や自分自身を見つけることもできなかったのですが、それから彼の本当の旅が始まりました。
その後1年間、ジェフはレイチェル・フィニー、テリア・ジュナ、ジョン・ナウスという3人の素晴らしい人々の助けを借りて、彼の人生で最大の個人的変容を経験しました。
その旅の後半は、ジェフに深い癒しと個人的、霊的な成長をもたらしました。
その後、ジェフはレイチェル・フィニーとリビングライトエナジーを共同設立し、1996年に彼女とリビングライトエッセンスを共同開発しました。
リビングライトエッセンスを作るきっかけとなったのは、レイチェルとジョンが教えてくれた知識と、彼のスピリチュアルな師であるテレア・ジュナ(ジェフは幸運にも、現在も彼女と一緒にワークすることができています)との人生を変えるような経験でした。
テレアとのガイド瞑想とスピリチュアル・ヒーリングのセッション中、ジェフは(思いがけず)自分自身のハイヤーセルフと出会い、融合しました。
この体験は、今でも彼の人生で最も深いものとなっています。
ジェフは、ほんの少しの間、恐怖のない状態と、荘厳な力、無条件の愛、深い慈悲の気持ちを体験することができました。
こういったものは、私たちの中核においてまさに自分そのものといえるエッセンスなのです。
この体験をした後、ジェフは、私たちの本当の姿と、私たちが思っている姿との間にあるあまりの不一致に気づき、自分自身のハイヤーセルフにより近づき、他の人もその人たちのハイヤーセルフのようになることを助ける方法を見つけたいと思うようになりました。
その解決策は、7つの光線に基づいた宝石から作られたエッセンスという形で現れました。
このエッセンスは、私たち一人ひとりが自分自身のハイヤーセルフを経験し、それとより調和できるようにするためという、たった一つの目的のために作られたものです。
ジェフは自分の経験を通して、私たちのハイヤーセルフとは、時間を超越した、何も恐れない(ハイヤーセルフには恐れの影さえ見当たりません)、常に愛から行動し、すべての生命と一体である、本当の自分自身であると理解するようになったのです。
それが私たちのエッセンスなのです。
1997年、ジェフはレイチェルとともに、自分の俳優としての訓練をもとに、リビングライト・ヒーリング・システムを共同開発しました。
ジェフはウィンザー大学で演技を、イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アートでシェイクスピアを学びました。
リビングライト・ヒーリング・システムは、3つのパートから構成されています。
i) あなたが選んだゴール
ii) 障害(未解決の感情や制限を生み出す信念など、目標達成を妨げる自分の中のパターン)、および
iii) シークエンス(リビングライトエッセンスを組み合わせたもので、正確な順番と用量を摂ることで、あなたが今いる場所と、あなたが行きたい場所(ゴール)の間に、意識のはしごを掛けるようにデザインされています)。
また、シークエンスは、あなたの中にある障害物やパターンを書き換えることで、あなたのゴールを実現する手助けをします。
“内側がそうであるように、外側もまた(As Within, So Without)” – あなたの内なる世界を変えることで、あなたの外なる世界も変わるのです。
ジェフは長年にわたり、私たちが膨大な時間の中で作り上げてきたパターンと、それが私たちの人生や世界に与える影響について、理解を深めてきました。
現在は、リレーショナルデータベース管理システムであるデータベースソフトウェアや、Solaris、Javaなどのコンピュータシステム・ソフトウェアで知られるオラクルのコマースパフォーマンス&スケーラビリティ部門(業績とシステム拡張部門)の責任者を務めています。
< 翻訳:市場 義人-トーショー >